2020年10月30日金曜日

たまに読み返したくなる遭難記事

たまに読み返したくなる遭難記事

※写真、記事等はリンク先から引用したものです。


upset(yamareco:upset)


出発である。
さっき兄貴と電話で話してて、いろいろ心配されたが、
無理な山行をするつもりはないし、ダメなら降りてくるしかない。
おそらく他にも人はいるはずだし、かといって頼るつもりは毛頭ないし装備もそれなりに揃えた。が、
兄貴にも言ったが「途中で戻ってくるのはダサい」。
さんざん装備を揃えてあっさり帰ってくるんじゃ腰抜けもいいところだ。
ギブアップなら誰でもできる。その先に行けるからすごいんじゃないか。
でもまあいい。いま書いている時点であまり落ち着かないので
この辺で。すべては戻ってからでいい。

群馬県みなかみ町の谷川岳に登ったとみられる東京都練馬区の男性会社員(31)が行方不明になっていることが9日、分かった。
携帯電話もつながらないため、県警沼田署では遭難した可能性があるとみて捜索している。
同署によると、男性は先月、家族に電話で「12月28日朝から谷川岳に入る。1週間ほどで帰る」と連絡していた。登山計画書は提出していなかった。
(産経新聞より)


8月6日。朝5時に自宅(茨城)を出発し、群馬県沼田市みなかみ町へ向かう。谷川岳を散策するのだ。理由はひとつ。今年1月に消息を絶ち、6月になって発見された末弟を供養するためだ。
水上で、捜索に当たってくれた谷川岳警備隊の隊長に会い、発見現場まで案内してもらう。隊長のみならず、山岳救助のエキスパートが揃った警備隊の皆様には、いくらお礼を言っても足りない。本当にありがとうございました。本当に。
発見現場の湯檜曽川上流の河原に到着。四方を急峻な山に囲まれ、上流でいくつかの沢が合流して蛇行するゴロタ石の河原。地形から見れば、とても分かりやすい発見現場。弟は春先に、上流から流されてきたのだろう。隊長が持ってきてくれた線香と花を添え、全員で合掌。

今回は滋賀県側の大君ヶ畑からの入山。日帰り班と藤原岳を抜けて西藤原駅まで縦走する班との編成となった。
それにしても男性(ヤマレコの利用者です)の発見が明らかにならない限り御池の空は晴れないような気がしてならない。鈴鹿山系程度であれば登山届け未提出のまま登降することは我々にだって十分に考えられる。他山の石としてはならない。一日も早い無事の確保を望みます。

(以下、遭難時の報道)
三重県と滋賀県の県境付近の山に登山に出かけた男性が、12日夜から連絡がとれなくなり、警察などは遭難した可能性もあるとみて捜索を行いましたが、13日は手がかりはなく、14日朝に捜索を再開することにしています。

連絡がとれなくなっているのは、名古屋市緑区の44歳の会社員の男性です。
警察によりますと、男性は三重県いなべ市の藤原岳と隣の滋賀県東近江市の御池岳に1人で登山する計画で11日、藤原岳に入りました。

しかし、12日の朝、携帯電話で家族に「今から御池岳を下山する」と連絡があって以降、夕方になっても戻らず、携帯電話も通じないため、家族が警察に届け出たということです。
男性は登山歴が3年くらいで、テントなどの装備は持っていますが、現場は雪が腰の辺りまで積もっているということです。

警察などは、男性が遭難した可能性もあるとみて、三重県側と滋賀県側の双方で探しましたが、今のところ手がかりはなく、捜索をいったん打ち切りました。
14日早朝に捜索を再開することにしています。





本流隊から「珍しい鉱物が見つかりました」と無線連絡が入った。これはあらかじめ決められていた秘匿通信だ。Nさんが見つかったのだ。

直ぐにネットで、情報を調べても何も載っていなし、29日の朝刊にも載っていない。
行けば何か分かるのではと思い、鞍掛峠に向った。

追記 Nさんが見つかったのは、この下でした。


中日新聞名古屋市内版から。
【御池岳中腹で男性遺体】
29日午後0時半ごろ、滋賀県東近江市君ケ畑町の御池岳(1247メートル)の中腹で、
テントの中で倒れている男性の遺体を、伊賀県警東近江暑員が確認した。
所持品などから、2月12日に三重県警に捜索願が出されていた
Nさんとみて調べている。Nさんの行方を捜していた三重県三岳連盟の捜索隊が
28日昼に見つけ、通報していた。
目立った外傷はない。現場は登山ルートから離れた急斜面。

新聞の記事から、29日午後0時半に確認とあるが、私は29日午前10時ここに居た。
まだNさんは下に居たのだった。

Nさん捜索終了のお知らせ 歩人倶楽部 2012年4月30日

2月12日に消息を絶たれてから2ヶ月半を経過してしまいました。
この間多くの方々の献身的な捜索と、情報収集のおかげで昨日(4月28日12時半)ようやく所在確認に至りました。
これまでの間、名簿に記載されただけでも600余名の方に参加者頂いています。
これほど多くの方々に協力頂いたこと、また、事故もなく継続できましたことを心からお礼申し上げます。

山岳遭難者の身元判明 2012年5月2日

藤原岳 御池岳中腹 単独 凍死
東近江市の御池岳(1247メートル)の中腹のテント内で28日に見つかった遺体は名古屋市緑区鎌倉台、会社員Aさん(44)であることが1日、県警のDNA鑑定で分かった。
東近江署によると、死因は凍死。Aさんは2月11日早朝、三重県いなべ市側から藤原岳(1144メートル)に単独で入山。帰宅しないため、家族からの要請を受けて三重県山岳連盟捜索隊員らが御池岳を捜索し28日に発見した。


伝説の遭難者(yamareco:yucon)

遭難(1回目) 6日後救出

~山岳遭難顛末記~ 御池岳ゴロ谷での6日間 2012年07月16-22日

順調に下山が進み後はTの突きあたりを左へ折れて林道への取付きを下りれば今回の山行は終了であった。しかし、ここからが私の地獄の始まりであった。
気がつくと二人で迷っていた。R氏「迷ったねぇ、もう時間もないし この先に沢の音がするンで沢へ下りて川を下ろう、ちょっと急だけど・・・」
二人とも今日は会社の出勤日であり下山を急ぐ、しかしその焦りがミスを誘発していく、この時点で二人が持っている水分はなし。
大きくルートをロストした後の登り返し後いつの間にかR氏の姿は消えていた。
極端に体力が低下している。沢の水を何とか口に含みフラフラと立上がるが一歩進むのがやっと川べりから何とか中洲に這い上がろうとするが全く力が入らない。
その時は突然やって来た・・・ 人の気配がする。「遭難してます、川﨑と言います」「生きてる!よかった!」歓喜の声と一緒に複数の人が来るのがわかった。

 

  • 慎重に慎重を重ねて山頂へ到達、登り切った後慰霊碑に手を合わせる。 
  • ゴロ谷、ボタンブチのキーワードでNさんの存在を感じずにはいられませんでした 。 


R氏について (遭難顛末記より) 2012年07月31日

伝説の遭難者yucon氏の体験について(1) 2018年06月07日



遭難(2回目) 救助後翌日死亡

鈴鹿山系で遭難の男性 4日ぶり無事確認 滋賀・東近江 2013.11.27

・滋賀県東近江市と三重県菰野町にまたがる鈴鹿山系で、滋賀県長浜市三ツ矢元町、会社員、川崎雄司さん(45)が今月23日に登山に出かけたまま帰宅しなかったため捜索が続けられていたところ、27日午前10時40分ごろ、東近江市内の山中で無事にいるのを三重県側の捜索隊がみつけた。

滋賀県警東近江署によると、川崎さんはかなり衰弱した様子だが、受け答えはできているという。

 同署によると、川崎さんは鈴鹿山系の御在所山(1212メートル)などに登るため23日朝に自宅を出て、24日に帰宅する予定だったが25日になっても戻らず、家族が同署に届けた。この間、川崎さんは24日に無事であることを家族に携帯電話を使ってメールで送り、26日午前には位置情報を知人に送信していた。


鈴鹿山系で遭難 4日ぶりに救助の男性が搬送先の病院で死亡 2013.11.29

・鈴鹿山系で遭難し、4日ぶりに滋賀県東近江市内の山中で救助された同県長浜市三ツ矢元町、会社員、川崎雄司さん(45)が28日朝、搬送先の東近江市内の病院で死亡した。滋賀県警東近江署によると、川崎さんは保護された際、低体温症と脱水症状でかなり衰弱した状態だったといい、搬送先の病院で受け答えができるまでに回復したが、27日深夜に容体が急変したという。

2回目遭難の足取りが判明 三重県山岳連盟(YouTube) 2014/09/09




uedayasuji(yamareco:uedayasuji)


きっかけ(真教寺尾根)

そのままうつらうつらと四時過ぎまでいたが、あまりに激しい風にたまらずに起きた・・で、コンロを出して食事にかかった。一息いれて地図を広げて・・ほぞを噛んだ・・大失敗である。
美しの森から牛首山までの標準時間が2時間半ほど・・それを5時間もかかっていた。
夜間を150%で考えても時間を食いすぎたようだ。しかもこの幕営地から赤岳が3時間とある。往復6時間・・この積雪ラッセルで9時間と見た。仮にここに14時にもどれてもここから二時間を要する。まいった・・が、嫁との約束優先である。
途中撤退・・悪くないかもね。

yamareco:pasocom>

uedaさんのおっしゃる「牛首山」とは「扇山」のことですね。ヤマレコのYahoo地図ではそう書かれているので誤解される方が多いです。で、「前山」と呼んでいるのが「牛首山」ですね。 

それにしても、するとuedaさんは扇山の先で幕営されたようで。ならばその先は鎖場までほとんど水平移動ですし、ますます撤退しなくてもなあ、と残念です。


遭難(真教寺尾根)

現状の報告です 2015年04月15日

捜索に当たっていただいている北杜警察署、地元の皆様に御礼申し上げます。
11日(土)12日(日)の当日に八ヶ岳赤岳、特に真教寺尾根周辺に近づかれた方、些細なことでも構いませんから情報をお寄せいただけるとありがたいです。
扇山にテントが張ってあるのを警察が確認しています。
よって、軽装による真教寺尾根ピストンはほぼ確定的であり、更には当日11時頃に赤岳山頂で植田さんを見かけたという情報もあります。
ここからすると、山頂からの下山道中になんらかのアクシデントに見舞われたものと思われます。
また、道迷いの可能性や踏み抜きによって脱出出来なくなっているという可能性もあります。

赤岳遭難した植田の娘の思い 2015年04月26日

山梨県は八ケ岳連峰の最高主峰、赤岳にて、遭難いたしました。
警察による10日間の捜索も打ち切られ、民間の捜索隊3社、プロの登山家たちの捜索約1週間もむなしく、全ての捜索が終了するそうです。
軽装で登った挙句、明らかに遭難しているのに、最後に会ったほんとうに最後の最後の頼みの綱のガイドさんの忠告も聞かず、この結果。
私達は、山を知りませんが、完全に山をなめた結果です、自業自得です。
あまり詳しくは書けませんが、父を見てきてのこの赤岳での死。この赤岳というところに、本当に大きな意味がありました。父から、人生をかけて身をもって、とても大切なことを教えてくれたんだと心からおもっています。

uedayasujiさんの件で報告です 2015年06月11日

4月12日に行方がわからなくなっていた、uedayasujiさんについて残念な報告をしなければなりません。
5月31日に新聞記事にて、北杜署から発表があったことをご存知の方もいらっしゃるでしょう。赤岳の雪渓の割れ目で男性遺体が見つかった件です。


赤岳の遺体は大阪の会社役員 2015.6.17

山梨県警北杜署は17日、北杜市の八ケ岳連峰・赤岳で5月に見つかった男性の遺体が、大阪市浪速区、会社役員、植田保二さん(63)と判明したと明らかにした。
署によると、植田さんは1人で登山中に滑落したとみられる。死因は頭部損傷だった。
4月11日に「登山に行く」と話し自宅を出て、帰宅予定の翌日になっても戻らなかったため、家族が13日に県警へ届け出ていた。5月30日に他の登山者が、雪の多く残った沢に倒れている男性を発見、翌日県警が収容していた。